日本百名城・五大山城 七尾城跡へようこそ!

七尾城史資料館

 七尾城史資料館は、昭和三十八年、七尾城主の子孫である畠山一清翁によって能登畠山氏と七尾城の顕彰を目的に建てられ、中世の城をイメージした外観となっています。
 館内には、七尾城跡や城下から出土した天目茶碗、などの出土品をはじめ、城主愛刀、などの武器や武具、城主直筆の書翰なども展示され、戦国時代の七尾城の一端にふれることが出来ます。


懐古館(国登録有形文化財)

 『懐古館』(旧飯田家住宅)は、七尾城とその戦国城下町にゆかりの深い古屋敷町にあります。加賀藩の肝煎りの住まいとして江戸時代後期に建てられました茅葺の家です。

 

太い松の梁(はり)や欅(けやき)の柱は、深い雪を支えるだけでなくその威勢をも示し、漆塗りです。

 

あまとよばれる茶の間の高天井は、竹を並べて煙や湿気を吐き出します。夏涼しく冬はいささか寒いのですが、だからこそ人々は大きな囲炉裏を囲んでよりそって生活したわけです。


七尾城について


初代畠山満慶が守護大名となり、越中と能登を分ける石動山系の尾根に築城した。
畠山氏の居城として増強され、政治と生活の拠点城郭となる。
山麓に城下町が一里余りも連なり、山頂にそびえる七尾城の威容は「天宮」とまで称された。
上杉謙信によって落城するまで169年間、畠山文化とともに能登の中心であった。

七尾城の歩き方


山麓の惣構えから尾根々に曲輪を配し、標高300mの本丸まで山全体が城の山城である。
足軽の気持ちで歩いて城攻めをするも良し、本丸駐車場から山頂中心部を攻めるも良し。
ただ軽い気持ちで城攻めをすると、難攻不落の山城の怖さを知る事になるだろう。

七つ尾ブログ


奈良時代(718年)に越前国から独立し能登国となる。
能登島に囲まれた七尾湾は波静かな天然の良港であり、大陸との交易や北前船の寄港地として栄えた。
定置網のブリ、日本海唯一のカキの養殖など海の幸にも恵まれている。
そんな七尾からお届けします。